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書道や芸術、静かな日常を綴ります。

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本の虫

昨日、髪の毛をさらに短くした。すごい。男の子みたい。頭が寒い。
できあがった姿を見て、中学生時代の私に再会した気持ちになった。
大きく一周して帰ってきた、みたいな。

たぶん、いまの私なら小中学時代のクラスメートたちは、
「わー、全然昔と変わらないねー!」と言うだろうな。
で、高校あたりから最近までの友人知人は、私に気づかないかもしれない。


気の毒なのは、ダンナ。
こんな中坊みたいな、断髪女と結婚したわけじゃないものなー。

でも。それは夫のヘアスタイルがツルツルになってきてしまう、という
世間にはよくある話と同じことだと思うから、
まあがまんしましょう。
(ちなみにダンナのヘアスタイルは変わっていません。)


最近、いかに魅力的に見せるか、とか、勝負に勝つためには、とか
お金を貯める方法、やら断捨離、みたいなハウツー物ばかり読んでいる。

これはこれで面白いのだけれど、
だんだん、「うまい文章」を読みたくなった。
おいしいものが食べたくなった。

というわけで、今度は、また別の反動で読み漁っている。

うまい文章は、ほんとうにおいしい。

ちなみに、ここずっとフィクションは読んでいない。
ファンタジーものも。
こころが汚れてしまったので、その世界に入り込めなくなったのでした。

その話をダンナにもしたら、
彼はもう、とっくの昔からだそう。

汚れたこころの家族です。(笑)









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だから私はオリンピックをみる。

オリンピックもW杯も、そういう観戦を普段からほぼ、しない私だけど、
やっぱり始まると、ついついメダルだの順位だのがすごく気になって、
「そんなに盛り上がってないから〜」なんて言いながら、
ときにはお祈りポーズ全開で夢中になってしまうのが、毎回のこと。

フィギュアスケートはわりと好きだけど、最近は回転やジャンプばかりが
やたら言われて、そういうのは私はあまり興味ない。
舞台を見てるかのように、セリフはないのにストーリーが感じられるものが
私にはすてきな演技だと思うけどね。



いつになく、いろいろとドラマチックなことがあった今季のオリンピック。

私が一番こころに残ったのが、小平選手のすべてにおける姿勢。
強い眼差しと軸のまっすぐさ。

その中で、小平選手があげていた言葉

「永遠に生きるかのように学べ。明日死ぬかのように生きよ。」(ガンジー)


学ぶ姿勢がある限り、学びは終わらない。楽にもならない。
でも、それがたぶん生きることだ。

ありがとうございます。



ボスキャラ

新年度の抱負をつづってから、はや一ヶ月。
大変忙しくしてます。
でもって、楽しいこともあるけど、楽しくないこともあって、
特別ブログを書くテンションでもなく、現在にいたる。です。



いつでも私は楽しくないことがあったとき、へこんでひきこもる。

でも、ある一定の期間これをやってると、この感じに飽きる瞬間が来て、
暗くなってる自分があほらしくなると、脱出の光がみえてきた証拠。
父譲りの、キリッと眉毛がぴーんとはねれば大丈夫。


そんな、ある一種の負けん気と、根拠のない自信を植え付けてくれた
親たちには感謝。
それは40年以上たっても、しみついていて、大人になればなるほど、
自分の背骨になってくれてるように思います。


その、根拠のない自信は、小さいころは「ボスキャラ」として発揮されてました。

今は大人になって、だいぶ羞恥心が勝ったし、
私より頭がよくて能力がある人がたくさんいることにもきづいて、
そんなずうずうしいキャラは引っ込めたけど、
やっぱりどこかに今も、「だからなによ。なにが悪いのよ。」みたいな
要素がしまわれている気がする。


その根性、だいじです。



で、今年に入って新しく始めたことの一つが、「バレエエクササイズ」。
なんと一応「バレエ」の一種です。

あはは。すごい、40年以上生きてきて、全くの未経験ジャンル。
健康のために、チャレンジ精神のために。


この人生、楽しくするのは、結局自分。
負けちゃあだめなのでね。






















考えすぎない。

2018 本年もよろしくお願いします。


2017の大晦日から2018の三が日、わっせわっせとお客様がいらして、
よくわからないまま流されるように過ごした。
それは、2017のどろどろしたものが一気にかき回されて、霧散。
強制終了。はい、仕切り直し。
そんな数日。

おかげで我が家にとっては、新たな気持ちでスタートを切れた。
ときには、荒療治も必要のようです。



今年の、私個人の心構え。


どんな小さなことでも、今までの習慣ではないことをやること。
それは以前やっていてしばらくやっていないこととか、全く新しいことも含めて。
ルーティングを変えてみる。

いちいちジャッジすることをやめる。
とくに、損した、失敗した、やっときゃよかった、やらなきゃよかった、
あれは悪いとか、そういう風に、素早く悪くジャッジすること。

短いスパンで考えすぎない。
宙に浮かして、様子をみる。
グレーゾーンに置いておくキープ力をつけたい。

長く続けてきたことは、とりあえず続けてみる。
とくに「道」のお稽古ごとは、即収入、とか、即現金化、とか換算しにくいもの。
きっと何かしら形になるだろう、と思いながら、まずは取り組んでいく。

考えすぎない。頭だけ使いすぎない。
直感、パッションを取り戻したい。

得とか損とかで計れない人間関係を大事にする。




よい一年にしよう。
それも私のこころ次第。














ラジオ

先月、「つながらない書道 大人の書道教室」を企画して、つながらない時間を
無事にすごしました。


の、話は前に書いたね。


前々からいろいろお世話になっているそこのギャラリーオーナーの紹介で、
実はその際、ラジオの収録をしたのでした。ひょー!


地域のコミュニティーFMなので、聴ける地域が限られているんだけれど、
それでも初体験のこと。
緊張と、うれしい気持ちと、わたしでいいんですか?の気持ちと
いろいろでございました...


先日、放送を聴いての感想は、「よかった。わりとよくまとめて話せてた」です。
えーとか、うーとかもなかったけど、でも鼻をすする音が何回か入っていたのは
変だった。緊張で鼻が出ちゃったのよね。



ここ数年、私としてはしんどい場面も多かったし、2017にあっては怒涛のような
一年で。ほふく前進みたいな一年だった。
よく一年、ここまでたどりついたな。マジで。

でも年末にこういうことがあって、ギャラリーのオーナーから
「クリスマスプレゼントになりましたね」と言われて、
あーそうか、と
ちょっと肩の荷がおりる感じがした。




このあいだ友人から、頭じゃなくて身体をもっと動かしてバランスとった方がいいよ、
とアドバイス。これにはハッとしたかな。

考えてみたら、最近は狭い一本道を、眉間にしわを寄せながら、
ギューンと目チカラをこめて突き進み、惑わすものがあらわれたら一刀両断!
みたいな思考パターンで生活してたかも、と思った。
まあそうしないと乗り切れないほど、日々刺客が多かったからね。


そんなわけで頭の中は、もう、モーターが高速フル回転。
妄想力、半端なくすさまじい勢い。(それもポジではなくネガ寄り妄想)
で、頭はそんななのに、身体はあんまり使ってない。って状態でした。


2018は、身体。身体動かそう。そうだな、行動しよう。
もう、「思考」は飽きた。何か始めるべし!

と思いつき、
画策していることがある。
それはまた
始まったら。ふふ。


そうそう、つい最近、コンサートに行ってきた。
2年間、彼らが活動休止してたので、私も休止してたのよね。
大騒ぎして、熱狂して、ここまでのアカ?を落としました。


再起動、ですよ。私も。
なーんちって(笑)







今。

先日、「いま」に集中して書をする講座を開いて、そして私も考えた。


どうも私の人生は、大半が、将来を描いていた図とも、目標にしていた図とも
違っている。
もっと言ってしまうと、昔たてた目標をちっとも達成できていない。

その都度、目の前のことにどうにかこうにか向かって、を繰り返して、
たどり着いたことのつなぎ合わせで、今の私が出来上がっている。
......ように思う。

自分が思い描いたこととは、違うことばかりだった。




長くお気に入りだった、カフェ。
最近、様子が変わってきた。私にとってあんまり嬉しくない方に。

ずっと変わらなく付き合うんだろうなぁと思っていた人間関係。
思わぬことになり、残念だけどずっと楽しく仲良くはないんだな、と思った。

このままおばあさんになっても維持していこう、と思った私の身体。
全然予想外に納得いかない形に変化しちゃって、でも変化したことを
ようやく受け入れた。

元気で、怖いものなしみたいにイケイケの知人。
思いもよらぬ病気が見つかってしまった。まさかこの人が?って感じなのに。


変わらないものはないみたいだ。
すべて、大なり小なり変わっていく。
私の想像を超えて。


では、どうせ目標なんて、未来なんてと、やけくそになって生きていく?

ではなくて、現在の私が「そのときどきの今」で出来上がっているのだから、
この先も、「今」を生きていくほかない。
今、今、今を全力でひたすら繰り返していたら、
「その都度過ごしてきた今」にふさわしい場所にたどり着いていくんじゃないのか。

未来はわからない。
よくも、悪くも、今、決めてもわからない。



そんなわけで、この先どうなるか全然わからないんだから、
クヨクヨ反省とか後悔とか、自分にダメ出ししたり否定するとか、イライラするとか、
そういうのしないで、簡単にジャッジしないで、おおらかに構えるのがいいかもね。


その都度、考えて、そのときのベストだと思う方を選択して......
今、をおろそかにしないで生きる。
そんな風に、飄々と生きていきたいものです。
理想、だな。



歌謡曲

最近、マイブームのテレビ番組第二弾。
NHKBSの「カヴァーズ COVERS」


けっこう昭和歌謡曲を歌う人が多くて、
懐かしいを通り越して、古すぎて知らない曲が多い。

でも、シンガーたちが「自分の原点」とか「歌手を意識したきっかけ」とか
いうくらいだから、聞くといい歌だなぁと思う曲が多い。

そうして、私は古い歌謡曲に、すてきな歌をみつけるのです。


先日は、ちあきなおみの「紅い花」がすごくよくてびっくり。
鈴木雅之がカヴァーして歌ったんだけど。


ほんとに歌の実力があってうまい人が歌うと
歌は耳を快適に通過し、理性で処理する過程を飛ばして、
解説やら理屈やらノリノリ振り付けとかいう、歌への「意味付け」なんか
しないで、ただストーンと染み通るのね。
で、身体の中でウワーンと共鳴するの。

滋味深い美味しい食べ物を食べたときと同じ感じがする。


そして、やっぱり歌い手がうまいだけでなくて、
歌にも内容があるのです。
語られるだけの。
私のように全く知らない人も惹きつけるような。

鈴木雅之もこのとき言ってたけど、歌詞を追っていくと、歌いながら
その情景が目の前に広がっていくんだって。
こういう歌は歌い継いで残していかないといけない、と思って歌ってるんだって。
ああ、なんかわかる。
歌詞も短くて、英語なんて混じってなくて、地味で。
でもきれいな日本語で。


やっぱりさ、ダンスありきで作られた歌とは全然違うね。
正直歌詞、関係ないし、聞かせるより見せる、でしょ。

そういう歌もときには好きだけど、
有無を言わせず心に染みることはないな。
こういう曲を知っちゃうと特にね。


そういうわけで繰り返し見て、熱唱してしまった...。
久しくカラオケには行ってないけど、いつか歌いたい。

たぶんおじさんウケはかなりいいと思う。
ま、一緒に歌う機会はないけどね。(笑)



でもでも、この番組の、一番!のお気に入りは
ミッツマングローブたち三人のお姉さんが、スナックで歌ってハモるコーナー!!
昭和歌謡をカヴァーするんだけど、すごいの、うますぎて!

身体中に、超快適に響き渡るハモり。

ダンナも、このコーナーを一番待ちわびているのです。

毎回ここでも私の全く知らない昭和歌謡曲を聞くけど、
たぶん当人が歌うより、この人たちがハモる方がうまいと思うな。


やっぱショウワだよね、とは言わないけどさ、
実際いい歌、あるんだよ。
やっぱり私には染みやすいのよ。
生粋のショウワ人なんだよねー。


別に古くていいもんね。




ファッション

最近、マイブームのテレビ番組は「ファッション通信」。
ありえないお値段、モデルたちの驚異的スタイルに非現実的なデザインとか、
全然普段の生活の参考にならないんだけど、単純に見ていて綺麗で楽しい。

そしてショウの見せ方やこだわりのデザインなど、
よくわからないけど、なんだかすごいエネルギーがある。
そこも見ていて楽しい。



去年頃から、私のスタイリスト??的なセレクトショップ。
なかなかクセのあるお店のため、合う合わないがはっきり分かれそうなところ。

でも、ファッションについて、考えるきっかけになった店。

縫製、生地、染色、カッティング、ボタン、ボタンホール、流行、定番、
適正な価格かどうか、商品の作り手の歴史、......

服や靴などに、こんなにも見るべきポイントがあることを知らなかった。



ずっとこれまで私が見てたのは、とにかく値段。
(でもそれも適正かどうかは正直、あんまり考えていなかった。単に数字だけ。)

次に流行のかたち、色、くらいかな。


服ひとつに語る部分がたくさんある。
そしてそれを語れる店員か、
単に「似合いますよ〜、今流行りですよ〜」と販売する店員か。
はたまた、語る内容のある服か。


知らなかったな。
考えたことなかったよ。


まだまだファッション初心者だけど、そういう目でものを見るようになったら
去年から断捨離が加速してしまい、
寒くなってきた今、クローゼットを見たら、
服がなかった...。
断捨離しすぎた...。


でも、慌てて買いにいく気も起きない。
いいものを、気に入ったものだけが欲しい。
「数量」にこだわるんじゃなくて。


間に合わせの買い物には触手が動かなくなったこの頃。
最近ほんと、
なんとなくいいなぁと思って買うとか、
デパートのバーゲンは必ずチェックするとか、
やらなくなったの。



これまでの私にしたらさ、
ほんとにびっくりなのよ。








つながらない

このたび、11月22日(水曜)に、「書道の時間」を開くことになった。
こういうのは4年ぶり、かな。
以前やってた「教室」とはちょっと趣旨を変えて。
私の役目は「教える」より、「書道する時間と場所を提供する」ような感じ。

場所は水戸市南町にある「アプラウド」さん二階のギャラリー。
雰囲気のいい、光の入る白い2階。
白と黒の世界だなあ。



以前活動していた時から何年もたって、私の、書道への感じ方考え方が
変わってきたように思う。
それは周りの空気感も同様に変容してきている気もする。


以前の私の書道教室のテーマの一つは「書を通じて人々とつながる」「みんなで書を楽しむ」
「書道って固くないですよ、楽しいよ」だった。

書道の地味なイメージを払拭するような内容をこころがけ、
みんなで楽しくワイワイ、カラフル、ポップ、おしゃれに、とにかくアクティブに、
だった。ほんとうにそうやれてたかは別として、そのとき全力でやっていたことは
間違ってはいない。そういう信念でやっていた。

世間も、「絆」「つながる」「シェアする」「みんな笑顔で楽しもう」が
とにかく最重要だったと思う。


ところが。
最近耳にするのは、「24時間、誰かとつながりっぱなしにクタクタ」
とか「つながりを大事にしすぎて、違った意見を言えない」とか、
「みんなテンションが常に高くて疲れる。イエーイとかハイタッチとか、
別にやりたくない」とかいう、「くたびれた」の声だった。


そして最近話題の「マインドフルネス」。
瞑想のことだけれど、要は、目の前のことに集中することでリラックスに導く方法。
これも、「私の今考える書道の可能性」に大きく影響した気がする。


誰かの日常、誰かのランチ、誰かの今日のコーデ、誰かのグチに振り回されるより、
自分の目の前のことに集中して、「自分の今」を過ごしたい。
その手段の一つに「書道」はなれないだろうか、と思ったのでした。


という壮大な構想?(笑)の結果、
「つながらない書道」をやってみようかな、となった。
「つながるのは、書と自分と静かな時間」。
誰かとつながる書道じゃなくて、「孤、個で楽しむ書」。

字を書くってサイコー!インスタ映えする文字を集めたよ!
みんなでおしゃべりして書くのは楽しいな!
とかいう感じは、今の私の中にはない。

むかーしからある書道のかたちに原点回帰、を目指したい。



地味、古くさい、孤独、でいい。

姿勢正しく、静寂の中、ひとり文字に集中する。

みんなとつながらないものがあってもいいのでは。







センス

週末、母と渋谷で開かれている生け花展に行ってきた。

流派は創立140周年を目標に、若者の街で花展を開くことで、
さらなる成長を誓って挑んでいくのだという。

その言葉通り、販売するグッズもリニューアル。
おしゃれで今っぽいセンスになって、すてきになった。
SNSを意識した展示になったり、思い切った舵の切り方。
まんまとトートバッグを購入するわたし。

でも、周りを見渡すと流派の構成メンバーは母ほどの年配の女性が大半......。

目指す「いまどき感」と、現状の大いなるギャップにちょっと不安になる......。

- - -

最近、お気に入りになった洋服店がある。
店長一人(それもおじさん)がやっている小さなセレクトショップ。
流行も追いつつ、でも定番もある上、かなり個性的。
他の人とかぶらない感じがお気に入り。

まあその話はいずれ別の機会に。


で。
その店長、ずばずば意見をする。

あなたに似合う、似合わない、その服なら靴はこういうのが合う、
トレンドはこれ、その丈の長さはいまいち、etc...

ときどきムカッとくるけど、指摘は的確で悔しいがどんぴしゃりという場合が多い。


その店長が、「おしゃれのセンス」について語ったことがある。

センスは年数をかけて形成されるもので、時間と経験が必要なのだそう。
注目すべきは、親がおしゃれかどうか。
子供のうちは親が選んだものを身につけるので、幼いころからセンスのいいものを
身につければ、早い段階からから磨かれることになる、と。

なるほど。
そう言われて私の親のおしゃれ度合いを考えた時、
残念ながら私のおしゃれセンスはまだ時間が必要と思ったよ......。


ただこれはおしゃれセンスに限ったことではないだろう。
インテリア、絵など芸術への審美眼、スポーツ、そして、「和」のセンスも。



私の生け花の流派には「古典花」というジャンルがある。
そのジャンルは特に形式を重んじ、学ぶためにはかなり時間をかけ理解し、身につけていく。

繰り返し繰り返し修行のように生けることで、じわじわと手や目が覚えていくのだ。
そしてある瞬間に、「あ、こういうことかな」とふわっとわかるときがある。


ところが、この古典花が本来飾られるところは、床の間。
また仏花として、お寺の本堂に飾られる形式のものもある。
陰影のある、和のど真ん中にこそ似合う。

床の間がある家はいま、どれくらいあるのだろう。
現代のモダンな白く明るくすみずみまで照明のあたるところに置いても、
やはりしっくりしないのだ。

その古典花と置かれる場との一体感のセンスを磨くのは、正直、今の環境において
なかなか難しいところがあるかもしれない。


今の我が家にも床の間はないし、和の雰囲気はしないけれど、
幸いにも、私は実家が超超古い日本家屋。
その陰影ある空気と和のセンスは、そこそこ身についているようなのだ。


華道界はどこも、この先の人口は減少の一方だと思う。
現状と、習う内容の乖離に悩むことも多いだろう。

でもここまできたら、人より少し多く培えた和のセンスをなんとか生かして、
伝統文化をできる範囲で伝えていこうと思っている。

そんなことを考えさせられた渋谷行きだった。

その日は頭を使いすぎて、眠りが浅くなり、なぜか今話題のK都知事に
煮卵をごちそうする夢を見た。
うーん、どうしてこんな夢なのか全く意味不明でわけわからん...。



見た目と性格が変貌したら。

ここしばらく、生活に変化がいろいろあって、私の見た目はずいぶん変わった。
と、思う。

同僚から、
すごいファンキー、といわれる髪型。

けっこうガラリの変貌ぶり。

それにともなって、服の路線も変わりつつある。

その路線変更は性格にも、ちょっと反映されているかもしれない。


いいんじゃない?いい人ぶらなくても。

フツーってなによ。




芸能人の、親にまつわるエピソードをテレビで見たり聞いたりすると、
親や家族もやっぱり芸能人ぽい要素をもってる気がする。
見た目とかじゃなくて、性格や思考パターンとかが。


ということに気づき、うちの家族からは絶対に芸能人は出ないな、
と思った。
目立つことやフツーじゃないこと、みんながしてないことはやらない、
実に、まっとうな道を
歩ませようとする思考の親たちだもの。

公務員むきよ。

まさにそういう性格に育ったわ。

でも、誰かからフツーを振りかざされ、押し込められると、
あったまくるときがある。



アマノジャクよねぇ。


さて、このブログは、誰が読むんだろ。

再開したことを誰にも告知してないから〜。

ま、いいや。

好きなこと書こう。










ぼちぼち復活

またね!

... ... と言ってから、ちょうど1年。

なんだろう、そういうリズムなのかなぁ。
動き出そうとするサイクルは。


1年間で、身の回りがだいぶ...変わりました。
たぶん、ものの見方とか思考とかも
ちょっと変化したかもねぇ。

詳しくは言わないけれど。
ご想像にお任せ!


以前と感じが変わってても、それは色々あったからということで。


世間では、もっと気軽に「自分を発信」できるツールがあるけれど
そんなに欲はないので、ここで続行。



ではでは、ぼちぼち始めましょ。





またね

しばらくブログを書いていないと、広告がバーンと出てるんだね。

オーラ診断...って、どんなわけでその広告なんじゃろ。
結構です。


元気に仕事も老人ホームの書道クラブにも行ってます。
夏の講習会はいろんなことがありすぎて、あらゆる感じで盛りだくさん
だった。数日、エンジン全開で挑んだ感じ。

車って、たまに思い切って回転数あげて、エンジンふかさないと、
むしろエンジンの性能が悪くなるんだってね。。
それと同じじゃないだろうか。


しばらくブログはお休みします。
また書きたくなるまで。



朝晩、虫の音が心地よい時節になりました。

またね〜。


開かずの間

あっっという間に8月。
今年はいつにも増して早くて大変。

今年の夏は、教員免許更新講習があるので、勉強している。(何年ぶり?)
現代の教育事情とか、専門の書道のこととか。
もうすぐ、東京の学校に講習受けに通う。


でも、恒例の書道展もあるので、同時にやってる。
年々、先生は厳しくなる。
泣きたくなるときもある。
できなくて悔しいし、カチーンと来る時もあるし。
楽しくはない。
修行、とか、自分との戦い、なんだって。
先生も言ってた。
そうなんだろうね。
そして、一足飛びで階段を上がれないのが、こういうもの。
辛抱強い地道な鍛錬、しかないですな。
に、苦手だよー。



で、夏恒例の、断捨離もやった。
断捨離してる暇があったら字、書けよって感じだけど、
これも物理的にも気持ち的にも大事なのです。


「もうやらない」「もう違う」「バイバイわたし」
と思ったものは潔く捨てた。
途中からダンナも加わって、開かずの箱とかケースとかを開けて
選別。
それでも、まだまだ捨てられないものが残った。
これらは、次、かな。
保留。
あと、捨てると次、また揃えるのが大変なものは残した。
もしかしたら使う可能性あり、もチラリと考える。
そういう自分が残ってるってことだ。


片付けは、自分のことをすごくよく考える時間。
捨てるのか残すのか一生ものになるのか。
自分と向き合う作業。


ともかく勉強します。
試験受けて、受からないと免許剥奪!だからね。




続 プロのお仕事

書道の先生のところでお稽古をしていたとき。
煮詰まってくたびれてちょっとイラッとして、ぼーっとしながら
墨液をシャバシャバ振ったら、墨が飛んでいた。
キャップが緩んでいたのでした。
「ぎゃーっ!」

まるで黒い血が飛び散ったみたいな手の平を見たら、
案の定、服にも飛んでいた。(それもどんぴしゃりで白い部分)


生徒がよく、ぼーっとして墨をこぼしたり、制服につけたりして
「もうやりたくねー!」「マジ最悪!」「書道選ばなきゃよかったー!」
とキレるのを見てるけど、あの気持ち、わかるわ......


結論。墨で汚れるのは、墨のせいではなく、
その人のコンディション、気持ちが原因です(- -;)



で、ご存知の通り、墨は洗っても落ちない。
事故は実家に行ってた時。
こっちに帰宅してから漂白剤なんか使って洗ったりして。
(もちろんおちるわけなく)

それでも踏ん切りがつかず、ダメもとで、以前にも書いた、
近所の「プロフェッショナルな」クリーニング店に持ち込んだ。
(詳しくは 2015.4.20 のブログをご覧ください。)


結果。
「奥さん、自分で何か洗っちゃった?何もしないで持ってきてもらえば、
こういうポリエステルの生地だったら、墨は落とせたんだよね。」

がーん。
素人が変にいじらないほうがよかったんだ。
それにしても、墨を落とせる自信があったことが驚き。
どこのクリーニング店でもできるもの?


でも、この店長のさらにすごいところは
「よくなるために提案をして、(依頼してなくても困っているようなら)
具体的に対処してくれる」こと。
(以前にも、ポツリとこぼした私の話を聞き逃さず、直してくれました)


「いろいろ考えたんだけどね、この部分の生地を折って仮縫いしてみたよ。
ここに例えばリボンみたいな何か飾りをつけると、隠れると思うんだよね。
あ、この仮縫いは取れるから、取ってしまってもいいからね。」

かなり薄くなった墨。ずいぶん落ちていた。
さらに、手間賃なしで一手間、二手間かけてくれるとは。
「残念ながら落ちませんでした」と、黒いままでも仕方ないと思ってたから。


これぞプロ。だと私は思った。
誇りと、技への自信と、気持ちが入っている。
うーむ。
尊敬する。
この店長のおじさんには、信頼して預けて大丈夫な気がする。


一連の話を聞いたダンナもすっかり信頼した様子。


ザ プロのお仕事。








お琴 尺八 

先週の日曜日、市の芸術祭「筝 尺八フェスティバル」があった。

今年は龍生派が舞台上のお花を担当。
私のお花の先生がメインで飾り付けをするので、社中生徒数人で
その手伝いをしてきました。



IMG_1793.jpg


白い枝は桑の木、紫の丸いのはギガンジウム、かすみ草、山吹の葉。
初夏の風や水の流れとかそういうイメージかな。
本物はかなり大きく迫力がある作品。

会場は周囲全体が黒で、中央に非毛氈の赤がくるから、とても華やか。


こういう手伝いは、何をするのか現場でやってみないとわからない。
その場で一人一人が判断して、やることを見つけて行動していく。
気が回り、自分で判断し行動できる人たちと一緒に活動すると
あっという間に時間が過ぎる。
誰一人、ぼやっと指示を待つ人はいなかった。

こういう回転の早い、流れるような仕事をすると、あまり
疲れがでないんだな。


面白かったのは、(ほんとうの)舞台裏に潜入出来たこと。
出演者の控え室だったり数々の大道具の機械や、
いろいろな指示の張り紙とか、興味津々。



生けこみを終えて、翌日は演奏会へ。
先生に「お琴や尺八って聞いたことある?日本の伝統よ、すばらしいから
ぜひ」と言われ、下げ花(片付け)前、早めに会場入りをする。

お琴も尺八も、今の日本の日常には縁がない。
さらに、できるようになるのに「尺八は首振り3年」と言われるくらい、
何年もかかる。


「すばやく、簡単に、はっきり結果が出る(ついでに儲かる)」ことが
望まれる時代において、いつになったら上手くなるのかわからないような
悠長で修行みたいな習い事は敬遠されるね。



演奏する人たちの姿勢、佇まいは端正で凛々しく、静粛。

曲は、絵巻物のようなタイトルがついていて、そういう和歌のような美しさも
まとっていた。
(まくり、という曲名を書いた紙の書の字もすばらしかった)


でも、ここで演奏している人たちが亡くなったら、
この文化は途絶えるのかもしれないな.... 
もうなんか土壌が違うと思う。


でも私は、この「日本文化」がいつか時代遅れで化石になっても、
良さを味わえる人間として最後まで生き残りたい。


そんなことを心に誓って(おおげさだ!)
静かな「和」に浸かったのでした。



ワールド その世界

意外にもカラリとした夏みたいな天気になった。

今日も頼まれ仕事を終えて、これから持っていくところ。


去年の夏、向かい側の家が取り壊され、大きな木が数本切り倒されて
更地になった話をした。
その大木は、毎年カラスや鳥が巣をかけるところだった。

今年も巣作りに来たカラス。

あの木がない!

となった彼らは、近くのマンションの屋上に巣をかけ始め、
更にうちのマンションまで手を伸ばしてきた。

そうなると鳴き声もすごいし、ゴミも荒らすし、かなりやっかい。
(まぁカラスは人間のそんな都合なんて関係ないけど)

だからさ、あの木は残しておくべきだったんだよっ。
(これも、その土地の持ち主にしてみたら余計なお世話ですが)



で、ある朝。
カラス達が、うちのマンションの周りをぎゃあぎゃあすごい鳴き声で飛び回り、
ちょっとサイコな状況になった。ヒッチコック。

とにかく朝も夕も、すごい騒ぎ。
子供が巣立ったのかなぁと思っていたら、
とうとう、マンションの住人がカラスに頭を襲撃される事件まで起きた。
マンションの複数の出入り口に張り出される「注意してください!!」

おそろしい。


...原因は、マンションの植え込みにカラスの子供が落ちてしまい、
それを守るためにマンションに出入りする人を威嚇、襲撃していたことが
判明。
警察に通報して(??これがわからない。警察の管轄なの?)
鳥獣保護センターが子ガラスを連れて行き、ようやく親はあきらめ、
騒ぎがひと段落したのでした。


ほんとうにすごかったのよ。
郵パックの人も襲われたんだって。
でも、実はまだ...カラスは付近にいるのです。
バッサバサと羽音をたてて、低い位置を飛んでいる。
だから今度は、まだ油断してはいけないと、張り紙されているのです。



人間の一方的な考えで、ことを起こすと
意外にも人間が不愉快に陥ること多々あり。


- - -


先日、元 SOFT BALLET(ソフトバレエ)の森岡賢さんが
亡くなった。49歳。
ニュース見たとき、ほんとに驚いて泣けた。おおげさでなく。
大好きだったのよね。
10年くらい前に解散してたけど、今もときどき聴いてた。


テクノロックバンドっていうのかな。
おしゃれでアングラっぽくてかっこよかったの。
雰囲気も歌詞も曲もそのワールド、誰も真似できないよ。

今はこういうの、絶対にいない。
似たようなグループがあっても、たぶんセンスや曲で絶対かなわない。
彼ら天才だったと思う。


このバンドも20代から30代前半の私にとって、
氷室と双璧をなしていました。


いつか再結成することを期待していたけれど、
死んでしまうなんてね。

もう新しい曲を聴けないのよ。


今年は、まだそんなに年じゃないのに、っていう歌手が
何人も亡くなっている。
どうしちゃったのかな。


(そういう趣味のあう)同僚と
「氷室さんはコンサートやめちゃうしさ、森岡さんは死んじゃうし、
うちら、悲しいよね。みんなさ年取ってんだよね。」と
嘆きあった。


なんだかここ最近、少し昔を振り返ることが多い。





80年代

ああ、眠い...

関東も梅雨入りしたそうだけど、今日は天気もよくて気温も高く、
梅雨っぽくない。
頼まれ仕事を終えて、身体をほぐしがてら、ふらふら歩きに出かける。

運動したわけじゃないのに、夜にはぐったり。眠い。
太陽の光ってすごいのね。


最近、50歳になった人たちをターゲットに特集組んでる
雑誌が目につく。

キョンキョンもその一人。

アイドル当時は別に好きじゃなかったけど、歌は覚えた。
(私は明菜ちゃんが大好きだったの〜)

あ、なんか当時のアイドルが出るドラマシリーズがあった。
東海テレビ?そういうのは見てた。
(そうそう、当時中学生の私。一つ上のこわーい先輩が
芸能事務所に入ってて、ほんとうにちょい役でテレビに映ったっけ。
部活動中の生徒の役。二秒ぐらいの出番。
でも見とかないと怖かったから、ご機嫌とりに見たときがあったな。)


で、話は戻って。
キョンキョンに好印象を持つようになったのは、アンアンのエッセイ。
なんかいいなぁって。

そのあと役者活動をするようになってから、もっと好きになった。
彼女しか出せない空気を出すから。

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すっかり出版社に乗せられちゃったけど(笑)、おもしろいから
全然いい。
やっぱりエッセイ、いいよ。



キョンキョンが先を歩いているから
年をとるのが怖くなくなる、ような気がする。
ちょっと近寄りがたい先輩。
でも、なんかそのツッパった具合が、眩しいような。

うーん、やっぱり私ってヤンキー慣れしてるのかしらっ。
だって当時、友人達はみんな普通にプチヤンキーだったもんな。
そういう世代だったし、なんか田舎だったし(笑)

(でも、いまどきの不良は性に合いません。)


あー、眠。
さ、一週間仕事だぞ。








続。興味ない人、再びごめん!

今日も、熱い話の続編です。

土、日、月と3日間に及んだ氷室京介ラストコンサート。
昨日、とうとう終わりました。

昨日(最終公演)は、どうしてるかなぁ、体調はだいじょうぶかなぁと、
時計を見るたびにそんなことを考えていた。(マジ)
終了後、ネットで何かツイート検索でもしようかと思ったけど、
その場面に立ち会えなかった悔しさとか、
ちくしょーいいなー!(あら失礼)の気持ちもあって
ほとぼりが冷めたらにしようと思っていた。

そしたら、今日、たまたまラジオでその話が!
運転中だけど、耳はすごい集中聴力。


最終日はなんと3時間15分、トリプルアンコールまでやったそう。
一度会場の照明が点いた後に、もう一回やったそうだよ。

ドームは超満員、ステージの後ろまで席を設けて、ぎゅうぎゅうだったと。
すごい。ステージ後ろなんて、モニターも見えない。
でも同じ場所にいて、その瞬間に立ち会うことに意味があるんだよな。

MCでは今後のことも語ったそうで、
LAで、B’Zの稲葉さん、GLAYのタクローさんと三人で焼肉を食べながら、
今後もアルバムを作っていく話をしたんだそう。
(たぶん、氷室はLAに住んでる)


土曜日は、氷室も「これで終わりだ」って繰り返すし、
私も悲壮感でいっぱいだったけど、
最終日は、光が見えたんだなと思って、ラジオを聴きながら
うれしくなった。

でもなー、やっぱりコンサートは格別なんだけどね。


よく、何か最後の場面に立ち会った人が(例 寝台列車の最終ランとか)
「今までありがとうー!」と「またなー!」とか声かけしてるのを見ると
「ふーん」と思っていた。
「ありがとうって、ねぇ...」と思ってたんだけど、
ほんとうに「ありがとう」と思うときがあるのね。
「ありがとう」がぴったりなときが。


私の人生の一部を、十分に華やかに彩ってくれて、氷室さんありがとう!
私もがんばるよー!




コンサートの帰り道、ドームからどっと吐き出された観客が、駅に向かう間、
話しているのが聞こえてきた。
「次はイエモンのコンサートかなぁ、復活したじゃん?」

あ、それ、私も気になる(笑)
(すみません。ミーハーで。笑)










かなり熱く語ります。興味ない人ごめんね。

さて。
なにから書いていくか。


一回治った風邪。
そのあと一週間経って、また風邪をひいて、また寝込んだ。
ヨワヨワしている自分が情けない。

が。いつもの老人ホームの書道教室に行ったら(重装備で)、
「先生だけじゃないですよ。なんか風邪を繰り返している職員、
多いです。咳がおさまらないとか。」
と言われた。

そういえば、耳鼻科でも「なんだか今年は咳を訴える患者さんが多い
んだよねー」と先生も言っていたっけ。

なんだ?あらたなウイルスか?PM2.5がこっちにも波及してるとか?


ともかく私の場合は、喉を酷使する職業病と、4月のストレス。
これはねぇ絶対思い当たる。

人間、ストレスは万病の元。抵抗力が落ちるんだな。
そうはいっても、生きていればなんらかのストレスがあるわけで、
とにかく対ストレスの力をつけなきゃならないのだ。

うまく体をひるがえして、スルーして、笑い飛ばして、
あるときはバカみたいにはしゃいで、
あるときは完全に目をつぶる。
ガチンコするのではなく、柔らかく戦いたい。


- - -


氷室京介を知っているだろうか。
曲は詳しくなくても、名前と姿は思い浮かべることができると思う。

今年56歳になる氷室は、去年、コンサートはもうやらないと宣言した。
耳があんまり聞こえなくなっていること、
体が不調で、体調に波があってパフォーマンスが思うようにできないこと、
そんな理由だった。

年末、新聞に大きく「LAST GIGS」コンサートの広告が出て、
私はそれを片目でちらちら見ながら、数日、なんとなく宙に浮かせて
いたんだけれど、
ダンナが「行かなくていいの?」と聞いてきたのをきっかけに、
行くことに決めた。

なぜなら、私はずーっとファンクラブに入ってたから。
何度となくコンサートに行っていたから。

10年近く前に、なんとなく氷室のファンクラブを抜け、
そのあとはいろいろだったけれど、
最後にやっぱり行かないと気が済まないと思った。



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会場について驚いたのは、おじさんばっか!
(もちろん私もオバさんなんですが〜)
感覚としては、同窓会っぽい。
家族で来ているところも目立つ。
お父さん、お母さんは昔ファンでした。息子は中学生。みたいな。


今年BOφWY も含めて活動35周年。

コンサートではBOφWY時代の曲とソロ曲の半々といった感じ。

思っていたより、昔の曲が多い。
そして私は、大半歌える!わかる!
しばらく離れてたのに、私ってすごい!


氷室は、本当に区切りにするつもりらしく、MCでも繰り返して
「35年の中でもどうしても歌いたい曲ばかりにした」とか
「懐かしい曲も多いけど、思い出がたくさんあるから、
わかってくれるといいな」とか言う。

「ま、久々にコンサート来てみました!」的な私の気持ちは、
だんだん真剣になっていった。
氷室は真剣に投げかけてる。だからこちらも真剣に受け止めないと
いけない。それくらいの、鬼気迫る感じ。


生歌も久々に聞いた。
今の主流は、大人数で、口パクしてでもダンス重視って感じだし。
35年の間、「歌手」が変わって、流行りが変わって、
氷室は、その移り変わりをどう見てきただろうね。

氷室の生歌は怖かった。
身を削っているのを感じるから。
命を削っている感じがするんだよ。


- - -

コンサートは、ほとんどが、会場中の大合唱になった。
おじさんたちがすごく多いから、野太い声ですごい肺活量で
特に懐かしい曲がかかると、ドーム全部がうわんうわんと唸るほどに。

私はときどき泣いた(マジ)
BOφWYと氷室は、私の20代全部と30代前半の、
人生の一部分だったことを思い出したから。

何回もコンサートに行ったなー。
ほぼ一人で。で、一人で熱狂した。
そういえば騒ぎすぎて、靴を壊したことがあったっけ。
(もちろん今回も一人。同レベルの興味の人とじゃないと
こういうのは気を遣ってダメですから〜)

座って聴くコンサートは、数えるほどしか行ったことがない。
コンサートっていったら、
総立ちで、踊って熱唱して、拳振り上げて、が身についているので、
ムズムズして大変。
そういうコンサートの楽しみ方を覚えたのも、氷室だった。


- - -

解散したけど復活しました!的なコンサートはよくある。
「ハイハイ、解散ビジネスだね」なんて思うけど、
56歳の氷室、いつかまたやるだろうか...
満身創痍の感は否めなかった。
何年か後にやるかな。
どうかな。
でも、彼はあんまり嘘は言わなそうな気もするんだ。

でも、復活してもいい。
だってやっぱり同年代の星だとみんな思っていると思うから。


最後の曲は、氷室は泣けてあんまり歌えなかった。
それを会場中が熱唱して、カバーしてた。
すごかったなぁ。この人はみんなの青春だったんだ。
若くて、時に世間にツッパって、上昇志向があって、イケイケして、
そんな時代をたぶんあそこにいる人全員が思い出してたはず。

息をするのも大変なくらいの濃密な3時間だった。



帰り道、ドームホテルのところで、大勢がホテルを見上げているのに
気づいた。写真撮ったりね。

そこのホテルはこのコンサートの宿泊客が泊まっている部屋のようだった。
部屋横並びの、いくつかの窓に、
「thank you 愛してます 私達は氷室京介を卒業できない」
と外に向けて印刷された紙が貼ってあった。

そこでもやっぱり、またちょっと泣いた。


- - -

今、これを書きながら、BGMはもちろんBOφWY。

大丈夫だよ。私。
しっかり、こういう時代をくぐってきたじゃん。
自信持って大丈夫だから。









春から初夏へ

前回地震のことを書いてからも、こんな長くブログを開けずに時間が経って
いるのに、まだ熊本の地震は続いている。

なんとはなしに暮らしていると、「自然」て癒しで美しくて、エネルギーを
注いでくれて、私たち生物を優しくなぐさめて包み込んでくれるもの。
なんて思ってしまうけれど、
決して「わたしたちのためにあるもの」ではないのよね。

こういう問答無用の、言葉も祈りも情けも通じない、
誰の都合も関係ない自然の活動に直面したときに、
わたしたちは、いかにちんまり生きているのか、と感じる。

そんな自然の中だから、わたしたちは、知恵をふりしぼって
生きていかないといけない。
大地を離れては生きていけないと思うから。
(ナウシカで確かそういうセリフがあったね。)


GWは、書道展の作品の提出やらなにやら、
生けばな龍生派130周年花展に師匠が出品したので
渋谷までそれを見に行ったりなにやったりしていたら、
ひどい風邪をひいて、後半はぜんぶ寝込んだ。

新学期も始まって、ピークだったのよね。疲労もストレスも。
書道展の作品書きも、(私なりに)けっこう地獄見たし。


今は薬で強制的に治している感じ。

月曜からいきなり15、16歳と真剣勝負って、
ちょっとエネルギー枯渇してるわ〜。


きれいな花は私の癒し。
自然にそっぽ向かれ牙を向けられるときがあっても、
やっぱり
季節の移り変わりの風景は一番私を支えてくれる。


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エール 

新学期が始まりました。

なのに、この大変な災害。

友人が熊本市と長崎にいます。
熊本市の友人とも連絡がついて、とりあえず家族も家も無事だそうですが、
市内は大変なことになっていると。

こちらではみな3.11を思い出しています。

が。強烈な揺れの地震があんなには続かなかった。
あのときとはまた違った、大変な災害です。

そして、いつまたこちらでも何があるかわからない。
そんな緊張感もあります。


熊本市に住む友人は、小さな子供を連れて、
避難所にむかったようです。

私の安否メールの返信文の最後に
「この経験を、絶対に自分の力にします」とありました。


どんな場面でも光を見つけて、希望を失わず潔く向かっていく彼女。
きっとこんな状況でも、最大限、自分の力を発揮して、
この状況を切り抜けると思っています。


どうか早く、大地が静まってくれますように。
強く祈ります。


煮込みスープ

ただいま、風邪をひいています。

この冬はインフルエンザにもかからなかったし(ワクチンなし)、
たまに「まずい!」っていうのもあったけど薬なしで対応して
乗り切ってきたのにさ。

学年末の仕事を終えて、おわった〜春休みだ〜ってなったその日から
熱を出しました。
こりゃ、ようするに気が緩んだってことか。


思えば、1月から入試、証書書き、学年末業務、と年一番の忙しさ
(合間にインフルエンザの恐怖とか)を、
よくまあくぐり抜けてきたと思うわ。
ほんとキツイし。


ま、今回風邪ひきの引き金は
いやっほー!終わったー!ってなって、まだ肌寒い中、千波湖に
ウオーキングにでかけ調子に乗ってちょっと走った。
何ヶ月かぶりにいきなり激しく動いた。
これです。
あほくさ〜(笑)



熱を出して寝たり起きたりしていると、妙な夢をいろいろみる。

もう今さら顔をあわせるのが気まずい人とか、死んでしまった人、
長らく会ってない人などが、次々現れる。
普段はほとんど思い出さないような人ばかりが。


たとえるなら、ぎっしり食材が詰まった寸胴を火にかける。
下の方が焦げそうだから、ヘラで底からぐいっとひっくり返す。

ひっくり返してみたら、まだまだ火が通っていない生のゴロゴロした
食材が上にでてきて、「わ!こんな食材、突っ込んでたんだ!忘れてた!」
「こんなのこんな大きさで入れてたら、いつまでも生のまんまじゃん!」
「あぁもうこの食材もさ、もうわかったよ。早く柔らかくしようね。」
とか、そういう寸胴をかき混ぜる作業が「発熱長時間睡眠」っていう
ことかな。


そんなこんなでようやく熱が下がりました。
(まだ風邪ひき中だけど)

記憶の煮込みはうまくできたんだろうか。
とろとろのクタクタの、スープにでもなったのかな。(美味しければいいが)
ついでに、腰や背中などあちこち痛くて仕方なかったところも
痛みがひいていた。

具合が悪くてひたすら横になっているときは、記憶とか身体の
メンテナンスをしてるんだろうな。


身体は自浄作用があるっていうけど、身体の様子に逆らわないでいると
それなりにうまいようにしてくれると思う。


風邪は次にダンナへ移行。
どうもすみません。
それにしても移したら、私がもうちょっとスッキリしてもいいんだけど
まだだなー。
今回長びいております。
春のぷらぷらはまだ先だわ。






メメント モリ

お花教室では、私が最年少なので、おねえさまたちの話は
とても面白い。
「大丈夫大丈夫!あと10年したら、そんな細かいこと気にしなく
なるから!」とか、「そーんなもんよ。みんな通る道!」とか
おねえさま達の、経験から導き出される言葉はよく響く。


先日、おねえさまの一人、子供がいない人と結構マジ話になった。

「私らは面倒を見てくれる人がいないから、どうにかしないと
いけないのよね。」

子供がいたからといって、老後、絶対面倒見てもらえるとは限らない
だろうけど、
よほどでなければ骨は拾ってもらえるでしょう。

それすらもないとなるとさ。


で、そこにお花の先生(80歳越え)が加わって、
「ホームには何としても入りたくないから、とにかく健康を
維持して踏ん張るしかないわよ。」という結論になって、

「だって、殺されたくないものね!」というオチに。

おねえさま方が言うと、真剣なのか冗談なのか微妙なオチ。

(あくまでこれは「笑うところ」ですので)


ちなみに40歳代から先、「運動」してるかどうかで
「将来の認知症になりやすさ」が決まるとか。
日常、よく歩いた方がいいようです。


お花の先生も、書の先生も、お教室のおねえさま達も、
「気づいたら、あら私死んでた!っていうぽっくりさがいいわよねぇ」

同感です。
(40歳すぎでこの会話に賛同ってどうだろう?)

私もぽっくり死ぬために、よく健康を保って、足腰鍛えておこう。
あ、脳もフル回転させときゃなくちゃね。



とりあえず目先の問題は、学年末なのでそれ関連の大変な業務を
きっちりこなすことと、
いよいよ書道展にむけて、バリバリ書かないといけないのと、
背中、腰のぎっくり痛みを改善すること。


そんな日常においてもメメント モリ。

ではまた。












愛あってこそ。

今日は卒業式でした。
ここしばらくは、この学校の卒業証書書きの仕事はしてません。
クビになったみたい〜(笑)

正直、もうやれないなぁと思う。
ずっと、計500枚くらいを毎年一人で書いていた。
その疲労はすごいもので。
首と肩を痛めてからは、もうこんなに書けないと
感じてます。
最近は幼稚園から頼まれて数十枚、書いている。
それだけの枚数なのに今年は腰と背中にもきた。

毎年、満身創痍で臨んでます。
もうこれ以上はちょっとね。健康あっての仕事ですから。


- - -

卒業式でのひそかな楽しみ?は校長先生の祝辞。
けっこうグッとくる話をされるんだけど、今年はフツーだった。残念。

それよりも保護者代表謝辞、今年はこれがとても良くて、
目頭が熱くなったなぁ。
「報われたって思った人も多いかもな」と思ったり。

昨今の状況は、「先生」にとって苦行なことが多々。
たまには「ああ仕事してよかった」と思える瞬間があっていいと思う。
先生も人間。
ひどいことを言われれば傷つくし、悩みもする。
先生=叩く対象、みたいな構図はいつからできたんだろう。
はけ口、ゴミ箱じゃあないんですよ。



今日、ふと思ったこと。

ある人に対して怒りとか軽蔑の気持ちがどんどん高じていって、気持ちが
爆発している真っ最中に、突然その人を「なんかこの人、哀れに思えてきた」と
思う瞬間がある。


「哀れ」って思った時点で、怒りは収まり、すっと冷める。
冷めたら全部終わり。
怒りがあるうちは、その人に、ある意味「愛」がある。熱量がある。

「哀れ」には愛はない。関心もエネルギーも注ぐ対象でもなくなる。
(私の場合。)


そんなことを思ったんだ。









必修英語

お久しぶりです。

とか言ってみたけど、
もともとマメじゃないから気付かれないか(笑)


最近、更新しなかったのは、とにかく忙しいこと。
ゆっくり書く暇も、書く気もわかなくて。

そして、ブログについてなんか考えちゃったから。

ん〜、私にとってブログって何かな?


という具合に。

書く気が湧くまで放っておいて、ようやく今日、というわけです。


不定期更新で5年目。


すべてがこれからも未知。です。
生活も思考も、なにも「ナマモノであり、とどまらない」。


- - -

ここしばらくの中で、一番ビッグな出来事は
マドンナのコンサートに行ったこと。
それも(すでにネットなどで語られてますが)
開始が2時間も遅れたという、話題の日に!


埼玉の友人のところに宿泊する計画だったから、まぁ23時すぎまで
しっかり聴けたけどね。
一人で行ってなくてよかった。孤独で倒れるよ。

いやいや、すごい1日だった。
一生の語り草になるかもしれない(笑)

そしてすごいのは、その話をすると誰もが
「まぁあのマドンナだからねぇ。うん、あるよねぇ」と
あんまり驚かないこと。


ついでに、日本で誰だったら2時間遅刻が許されるか考えてみた。
やっぱりサザンオールスターズかな。福山くんも許されるかもな。
あとはインディーズみたいな熱狂的ファンがついてるグループとか?


アメリカ帰りの同僚にその話をすると、
「アメリカでは機嫌が悪くなって帰っちゃうとか、勝手に途中でやめちゃうとか
よくあるんだよねぇ。」
と言っていた。

きっちり時刻通りに電車がくる日本じゃ、許されないな。うん。


IMG_1616.jpg



このコンサートで、私がショックを受けたこと。
(それは2時間遅刻されたことではなくて)

ステージに近いスペシャル席の近くで、マドンナがMCを始めた。
以下、ちっとも英語がわからないので、なんとなくの解説です。

「この花束を受け取った人と私は結婚するわ!」
「さあ!」
とブーケを放ったところ、若い女の子(たぶん日本人)が受け取り
前に出てきた。カメラもアップで彼女をスクリーンに映す。

マドンナ「あなたは英語、わかるかしら?」

その女の子はウンウンと頷いていたけれど、どうも全然わからないみたい
だった。
マドンナは彼女にいろいろ話しかけるんだけど(それも私もわからない...)
彼女は曖昧な顔でニコニコして頷いているだけだった。

で、マドンナは
「ああ、あなたとは結婚できないみたい」と匙をなげ、
「次に会うときまでに英語ができるようになってらっしゃい」と
言い、会場の英語がわかる人からは「あぁ」と嘆くため息がもれた。
(外国人もいっぱい来てたの)

ちなみに私も理解できてないので、↑↑だいたいの感じで書いてます。


悲しいかな、マドンナに指名されたその女の子は、匙を投げられたことも
わかっていないようだった。

そのとき、「まずい!私も同類だ!」と怖くなったのよね。
コンサート中も、色々MCが入るんだけど、わっかんない。
一緒に行った友人はわかるみたいで、笑ったりしてるんだけど、
私はわからないんだよー。
(たまにわかるものもあったけど...)


仕事先にも留学生がくることが増えてきてるし、公用語として
少しでもやりとりできるのが、もう必須なのかもな。
だってお店とかレストランとかホテルとか、できないとダメな
レベルなんでしょう?


とういうわけで、中学英語から勉強しようかと。
しよう、でまだやってないんだけど。


そんなことも考えたのでした。
マドンナ、やっぱりいろんな意味で影響力、大よね。





気づいたら2月

1月は毎年忙しいのだけれど、今年もまぁ気づいたら2月よ。

全部書くのは多すぎるので、ざっくり。


去年の秋頃から生活のいろいろを見直ししております。
それは年を明けても続いていて、そのいろいろが
こちらの思うように進まなくて、うーん、とにかく
イライラしたり嘆いている暇もばからしいから、
日々淡々と進めています。

意味不明だ(笑)


ま、細かく書くほどでない、超個人的いろいろ。
華やかさとは無縁の、
とにかく事務処理みたいな日々。
ブログに書くほどのことは何もない日々です。


そんな合間にも、家族のこととかお世話になっている人のこととか
いろんな心配事もいろいろね。


あ、私は元気です。
とにかく、もくもくと暮らしてます。



天候もずいぶん荒っぽくなったこの頃。
こちらも少々雪が降った先日。

実家からノーマルタイヤでヒヤヒヤしながら帰宅すると、
駐車場では子供たちが静かに、もくもくとかまくらを作成していた。
で、建物の出入り口に雪だるま。
解けてる。でもかわいい。
見て欲しくて、ここに作ったんだろうなぁ。
なんだかいい。


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さて、またコツコツと、かつ着実に日々を過ごていくとするか。
早く3月になぁれ。


さ、今年も始まった。

今年も宜しくお願いします〜

2015はなんだか気持ちが暗渠にあったことが多かったなー。

で。新年早々、はっ!とする文に出会ったので、ここに記します。
はっ!っていうかギョッ!っていうか。

- - -

自分の価値を他人からの評価に依存すればするほど、傷つくことが
多くなる。(中略)
そして自分が憂鬱になった原因は相手だと思う。

しかし不愉快になった本当の原因は、相手の態度や言葉ではなく、
自分の心の中にある。
つまり、自分の価値を他人の評価に頼る、心の姿勢である。

(中略)
他人をそこまで不当に重要な存在にしてしまうのは、自分の依存心である。
したがって、いつまでもその心の不安定さから抜けられない。

「自分の価値を他人に頼れば頼るほど、自分を卑しめる機会が増える」

以下略 
著者 加藤諦三

- - -


ひゅ〜... (凍りついて青くなる)

...これは、私に言ってますか?!



自分の考え癖に気づくことがまず第一歩、という内容だったので
気づいたのはヨシとしよう...


今年はこのことを意識して生活する。
今年のテーマ!


そうそう。
寒くなると思い出す友人の言葉がある。

「寒いのは好き。早朝の空気とか、キーンと冷えた空気に触れると、
ああ私生きてる!って思うんだ」

寒くてゲンナリするとき、いつもこの言葉を支えにしてるんだ〜。

やっぱり寒いときはキッチリ寒くないと、あとで絶対ツケが回るんじゃ
ないかと思うわ。







お正月、あの人がいらっしゃるの!

2015 大晦日になった。

数日前から大掃除して、松飾りもつけて、ちょっとしたおせちも、
年越しそばも準備し終えた。
今年は順調。

毎年、年末にどばーっとやることがあってなんでこんなヘロヘロになって、
お正月を迎えなくちゃいけないんだろ!?

と思うんだけど、
今年、掃除をしながら「あぁそうか」と腑に落ちた。

うちの母が言っていたことがきっかけになって。


お正月は、その年の「年神様」が家にやってくるのだ。
松飾りは、年神様がぴゅーと目指して降りる目印。
お迎えの準備ができてますのでいらしてね!っていう目印。
おせちは、年神様も一緒に召し上がるご馳走。


そうだなぁ。
年神様を、超VIPなお客様って考えてみる。
例えば、大好きなアイドル、世界的なミュージシャン、
ドバイの富豪の御曹司(?)...

とにかく自分が会いたくて仕方ない、まるで神のようなあの人!って考える。


そういう、心臓がばくばくするような人のマネージャーとか秘書から、
「1月1日に必ず伺います。お宅でご飯も食べるし風呂にもトイレにも入って、
数日お過ごしになられます。迷わないように玄関に目印をつけておいてください。」
って連絡がきた。みたいな。

そしたらやっぱり、頑張るしかないよなー。


今年の年末は、そんな妄想?をしたら、サクサク活動できた。
だって明日はすごい人が来るんだもの!(笑)

明日はあの世界的ロックスターがいらっしゃる!
それとも大好きな、あのアイドル!
しばらくお泊まりしていくのよ〜。どうしよう!


ってことのようです。お正月の意味は。

「お正月なんて、別にいつもと変わらないよね。別に掃除とかやらなくても
どうでもいいよねー。」と、モチベーションが上がらないとき、
この妄想を糧に頑張ってみるのもいいと思います。


さて、いよいよ明日はあの人がくる!
......妄想中。
楽しい(笑)

よいお年を。








今年はどんな年だったか。

私の周りの友人たち。いろんなことに奮闘し、どう生きていくのかを
考えながら進んでいるみたい。
40歳前後って、身体、家族を含めた生活、仕事......
自分はどうなるのか、どうしたいのか、深く考えるころかもしれない。


私はというと、やるべきことはやっているんだけど、
最近全体的にビジョンがぼわぁんとしているのが事実。

小さいコツコツがいずれ大きく形になるのかもしれないが、
なんだかコツコツが小さすぎて、近視状態で、このあとの方向を
つかめない感じかな。

私はどうしたいのかな?どうなりたいのかな?

うーん。(ちらっとときどき見え隠れするときがあるんだけどね...)

実際には、夢を見てうっとりしてていい時期は、とうに過ぎているのよ。
やっぱり現実的に考えないといけないよね。



ん、まぁよかったことを振り返るか。

身体メンテナンスに気合をいれたせいか、冷え性はだいぶ改善してきた
実感がある。とにかく風邪をひかなくなった。
具合が悪くなるタイミングがわかって、回避できるようになった。
これはすごい!


長年、懸案事項だった家のことのいろいろな見直し。
かなりテコ入れして改善した。やればできるな!


んん〜、仕事面ではですね。なかなか難しいことがあったね。
これは継続中。いやはやいろいろ鍛えさせられるわ。
この歳でさー。なんだよまったく。
(この歳だから?)

最近はやたらに分別ができてしまって、ちょっとつまらない人化かな。
あー、でも嫌いなものもすごく増えた。
丸くなったのか... がんこになったのか... よくわからん。



- - -

先日、老人ホームの書道教室をやってきました。
年末なので「年賀状をつくろう」。
絵手紙教室の担当の方の協力も得て、文字プラス色付けをして
しあげました。

99歳の、常連のおばあさん。
お風呂の時間と重なってしまったんだけど、急いですませて駆けつけ。
並々ならぬ気合を感じる。

「福がきた」の言葉をじっくり丁寧に二枚。

聞くと、ひ孫が今度高校受験だから送ってあげるんです。と。

「これをもらったらきっと合格しますよ!」なんて言っていたら、

「年賀状を出すのも今回が最後になる気がするんです。
だから、今日は一生懸命、頑張って参加しました。」と。

「いやですよ〜、来年も参加してくださいね!」と言ったけれど、
やっぱりこればかりは私にもなんとも言えない......

ここで教えていると、高校の仕事だけでは絶対わからないことに触れる
ことが多い。



なーんかさ、自分のおばあちゃんのことを思い出しちゃったよ。


- - -

もうすぐ申年がやってくるね。






























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